がんと向き合う ( 8 ) 手術、さよならがん細胞

抗がん剤治療から、腫瘍摘出手術へ。ハンガリーで乳がんを患った、わさびつんこさん ( 40 代、在住約 20 年 ) の治療が新たな段階に入りました。手術前後の様子に加えて、術後に変化した気持ちのあり方について綴ってもらいました。

摘出手術に向けて

7 月 2 日、遂に抗がん剤治療が終了

約 4 か月半の間、からだは決して楽ではなかった。不安になったときも、もちろんある。でも、なんとか乗り越えた。右の乳房は目視でもわかるほど日に日に小さくなり、これまで応援してくれた家族や友人を想い感謝した。

私の体内で 2 月末に確認されていたがん細胞は、右胸 2 か所と、転移した右脇の下リンパ節 1 か所。主治医を訪れ、これらの大きさの変化を見ることになった。

CT 検査の結果、二次元ではどれも半分程度にまで縮小。三次元でとらえるなら、4 分の 1 に縮小したことになる。一番大きかった右胸の腫瘍の 1 つは、直径 2.6 センチから 1.4 センチになっていた。

主治医からは当初、抗がん剤でまず腫瘍を小さくしてから、手術で摘出すると聞かされていた。でも「 こんなに小さくなったのだから、ひょっとして手術なしで完治できるのでは ? 」と心のどこかで期待するほどだった。

残念ながらそれはあっけなく散り去ることに。やはり手術は必要。主治医には、手術担当の有能な外科医を紹介してもらった。

執刀医は ❝ Főorvos ( チーフドクター ) ❞ という肩書で、自分でならばおそらくいつまで経っても予約すら入れられなかっただろう。しかし主治医のアシスタントが目の前で、手際よく取ってくれた。

執刀医から術前説明 ~意外に手厚いハンガリー医療~

後日、少し緊張しながら外科医のもとへ向かった。でも診察室のドアを開け、一瞬にして気持ちが和む。優しさを感じるとても気さくな方だった。

信頼する主治医が紹介する先生なのだし、安心して自分の身を任せられると感じた。付き添ってくれた主人も、同じ印象だったようだ。

医師はまずは触診するも腫瘍箇所がどこかわからず、「 随分小さくなったんだねぇ 」と言ってくれた。診断書を確認しながら乳房の上からその場所を直接ペンで描いた。

診断の結果、右乳房は部分的に切除することに ( 乳房温存手術 )。どのようにメスを入れるか、医師はまた慣れた手つきで胸に直接ペンで描きながら、丁寧に説明してくれた。

部分切除の場合は、手術した方の胸の位置は上に上がり、左右のバランスが崩れてしまうらしい。そこで、患部でない左胸も同じ高さになるよう、同時に整形手術をすることになった。

日本での乳がん手術事情を、私は知らない。でもハンガリーでは、女性の気持ちを尊重し、患部でない左胸の整形手術も国家医療保険でカバーできることになっている。

ハンガリーの医療は病院設備の老朽化など悪いところばかり強調されてしまうが、ここまで手厚くしてくれるのかと驚いた。

手術日は 7 月 19 日に決定。右乳房の腫瘍摘出左乳房の整形手術、それに右脇の下のリンパ節を切除する。

いよいよ手術

手術の 2日前に、血液検査やコロナ  PCR  検査を受けた。いずれも結果良好と判断された。

そして、予定通り前日の 7 月 18 日に入院。一通りの手続きや診察を済ませ、病室が空くまで待機しているうちに、麻酔専門医による手術に関する丁寧な説明も受けた。手術は数時間で、麻酔は約 6 時間になると聞かされた。

ブダペスト市内の病院の待合室。執刀医は産婦人科専門の外科医で、塗り替えられた壁にはお花が咲いていた。気持ちが和む。Photo by わさびつんこ

前夜と当日朝は、看護師から言われた通りに、ステロイドを服用。当日は朝 6 時までには身支度を完了。

朝 7 時、看護師が手術の準備に来た。不安はなかった。過去に帝王切開その他の手術したこともあったし、全身麻酔も経験があったからだ。むしろ、これで腫瘍が取れるという嬉しい気持ちの方が強かった。

検温の後は、看護師が手慣れた様子で足の甲から太ももまで包帯で巻いていく。手術の際は身体がむくみやすく、その防止のためだろうか。3 人の子どもたちの出産でもこんな風にミイラのようになったなぁと思い出していた。

8 時 45 分、白色蛍光灯が灯る手術室に運ばれる。更に肌寒い。手術台へ移されて間もなく、点滴で麻酔が注入される。そこからは記憶はもうない。

終了、そして戻ってきた!

手術に何時間かかったのだろうか…… 遠くで「 起きなさーい!」という声がした。看護婦さんが何度も声をかけてくれていたのだった。

目は覚めたが頭はぼーっとしたまま。でも、「 あ、戻ってきた、良かった! 」と思う自分がいた。

時計を見たら 14 時半になっていた。一向に目が覚める様子がないので、主人は心配していたそう。

麻酔が切れ始めると寒気でガタガタ震えた。そして、夕方になると全身の感覚が戻り意識もしっかりし、手術が無事終わったと実感できた。

自分の身体がどのような状態か確認してみる。胸の執刀部には絆創膏、リンパ摘出部には不要な体液を排泄するよう管が取り付けられていた。右脇の下は腫れ、腕もうまく上がらない。

それでもがん細胞から解放された喜びの方が、不快感に勝っていた。

幸いにも痛みはそれほど無く、もらっていた鎮痛剤は服用するまでもなかった。あとは、回復するまでリハビリするのみ。半年以上はかかると言われ、30 種類以上ものリハビリ指導を受けたが、今もコツコツやっている。

義妹のことば
私が麻酔から現実に戻ってこられたのは、義妹が術前に「 縁起でもないかもしれませんが 」と言いながら送ってくれたメッセージがあったからと思う。

義妹は、自分の出産時に、大量に血液を失い生死をさまよった経験がある。そのとき、麻酔で深い眠りに陥ったが、周りが声をかけたり手を握ってくれたりしたために「 こちらに戻ってこれた 」と言う。

それを踏まえて、全身麻酔から戻らない時は周りの人に同じようにするように伝えておいてくださいと。そして、「 お義姉さん、呼ばれたら戻ってこないとダメですよ 」と言ってくれた。

コロナのため、家族が病室で手を握ってくれたりすることはなかった。でも、看護師の呼びかけに「 あぁ、起きないと 」と、朦朧とする中でも私が思えたのはこのお陰である。

「 願い 」から「 感謝と誓い 」に

手術を境に、変わったことがある。それは、毎朝、神棚に手を合わせるときの言葉と気持ち。

がん細胞を体内に抱えていたときは、「 どうか、がん細胞を小さくしてください 」とお願いしていた。今は「 今日もこの命をありがとうございます。この命を大切に一日過ごします 」と言い、姿勢を正す。

がんと診断されるまでの私は、命あることが当たり前と思っていた。でも、当たり前ではないのだ。朝、目が覚めることも当たり前ではない。そして、無事に一日を過ごせることも当たり前ではない。

今、自分の命があるのは…… 寛解に向けて努力を続けている自分を労いつつも、医師による治療と手術、そして家族や友人からの応援を受けたおかげ以外の何物でもないのだ。

守られながら生きている自分の命を大切に、感謝しながら過ごしたい。心からそう思えるようになった。それも乳がんを患ったからこそ気づかせてもらえたのだった。ありがたい。

私は、体内にあったがん細胞から解放されたことを心から嬉しく思っている。そして、これからもこのからだを大切にして過ごしたいと思っている。

アイキャッチ画像は、術後に友人らからもらったヒマワリと、美味しいお豆腐とおから。他にも退院のお祝いのメッセージやプレゼントをたくさん頂いた。日本とハンガリー、応援してくれる人たちとの信頼関係は、何よりの財産となっている。私も誰かの支えになれる人でありたいと思う。

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ABOUTこの記事をかいた人

わさびつんこ

ハンガリー在住歴20年。ハンガリー人の優しい夫と思春期の渦中にいる 3 人の子供と田舎暮らしをしています。 コロナウィルスでの自粛生活と療養休暇のタイミングが重なり、有機野菜やスプラウト栽培をお勉強中。 趣味は音楽鑑賞と歌うこと。相田みつを氏の詩集『にんげんだもの』がバイブルです。