わさびつんこ がんと向き合う ( 最終回 ) 再生、再出発


ハンガリーで乳がんを患ったわさびつんこさん ( 40代、在住約20年 )。大きな治療は終え、身体は回復に向かう一方、心のケアが追い付かず自問自答する日々を送っていたのだそう。そこから、どのようにして自身と向き合い、前に進んでいるのでしょうか。そのきっかけと心の支えについて綴ってもらいました。

※ わさびつんこさんの過去記事一覧はこちらから

回復、そして「 次なる壁 」

火災、乳がん疾患、足の怪我で幕開けした 2020 年。そんな大きな課題が一度に身に降りかかってから 1 年半が経つ。今、再建が進む自宅の地下室で、去年を振り返りながら執筆している自分がここにいる。

最終回は、治療が一段落した今について綴っていこうと思う。

つい最近、悪性腫瘍を摘出し 3 度目の CT 検査をうけた。CT 検査の結果が届く日は、ちょっぴり緊張しながら、夫婦そろって診断書の内容をじっくり読む。悪性腫瘍再発なし。結果良し、で家族そろって安堵した。

「 寛解 」といえるにはもう 1~2 年は要するけれど、治療中を思い返すと、よく耐えたものだと思う。今はおかげさまで「 元気よ 」と笑顔でこたえられる自分がいる。

だが、からだが回復してきたことで、次はあることを悩むようになった。それは復職のこと。

「 再出発 」への壁

長期にわたる療養休暇の間、自分自身の身体と心と向き合う機会が多くあった。特に療養期間が終わる数カ月前からは、復職について大いに悩んだ

「 私は職場に戻ってもちゃんとお勤めできるだろうか 」
「 心と身体のバランスを保ちながら日々暮らせるだろうか 」
「 私はこのまま退くべきだろうか 」
何度も自問自答した。

なぜそう思わせたかというと、ホルモン治療の副作用のためか、休みを長くとっていたためか、理解力や記憶力の衰えを著しく感じていたからだ。

これからも続く治療、自分自身の経済的自立、社会保障、大学進学を控えている子供たちの学費。家の再建も続いている。だから葛藤したのだ。

恩返しのつもりで職場に戻ってはどうかと言った両親の言葉にも背中を押され、休職してから 14 か月後、復職することを決意した。

直面する「 復職 」の壁

以前は、受けた指示一言で自分がとるべき数手先まで瞬時にとらえ、業務に携われていた。しかしブランクを経た自分は「 一 (いち) 」を聞いてもその「 一 」が何であるのかすらわからない。恩返しのレベルではない。

同僚は「 戻ってきたばかりなんだから、焦らない 」と優しい言葉をかけてくれる。その一方で、かつての働きぶりを知っている同僚の私への期待度と今の自分の能力とのギャップに心苦しい思いばかりが募る毎日。

「 私は会社にとって役に立てる人材であるだろうか…… 」
誰一人として攻める同僚はいないのに、悔しい気持ちで胸がいっぱいになる。

これもまた私なのだ。誠実に、できることを一歩一歩、謙虚に学んでいこう 」そう自分に言い聞かせている。

今もまだ苦戦状態だが、少しずつ働くリズムを取り戻しつつある。自分の不甲斐なさに落ち込むこともあるけれど、できるようになっていく自分も認めていきたい。

心の支え、これからの夢

体も心も必死に頑張ってきたこの1年半。ある意味、自分探しの旅でもあったように思う。

身体の治療は主治医に任せられたが、心のケアはどうすればよいのか全く分からない。模索する日々が続いた。

自分は何をすることが好きなのか、何をしている時がわくわくするのか。どんな時、幸せだと感じるのか。そんなことをよく考えた。

ある日、焼け残ったおもちゃ箱から、息子のおもちゃを見つけ、ゼロから作り上げてみた。 たとえ子供のおもちゃだろうが、何かを成し遂げたことに喜びを覚えた。

息子が放置して未完成だったプラモデル、ついに完成。 Photo by わさびつんこ

この感覚はいつぶりだろう。それは、周囲からの評価ではなく、自分だけが純粋に味わった達成感だった。それがうれしくて、Facebookに「 しあわせシリーズ 」と題して、小さな幸せを見つけては綴ることを始めた。

プライベートなことを公開するには賛否両論ある。自分のことを世界中の友人に発信するのは勇気がいることでもある。

だが投稿を続けていくうちに、日常のちょっとしたことに「 しあわせだなぁ 」と気づけるようになった自分がいた

そしてシリーズを発信する度に、友人たちから「 心があたたまるよ 」「 優しい気持ちになれる 」とお返事をいただくようになった。素直にうれしかった。誰かに小さな幸せや優しさを届けられるなら、と書き続けている。

もう一つ、心の支えになっているものがある。それは ❝ 趣味 ❞ だ。

出産、育児、家事と仕事で自分の趣味というものを失ってしまっていた。しかし療養休暇中にやっと、自身がワクワクできることを見つけられたのだ。それは日本茶

私は、茶処静岡の田舎町に生まれ育った。八十八夜の頃になると、茶畑に囲まれた道を行くと製茶工場から摘みたての新茶の芳ばしい香りが漂う。毎回の食後には緑茶は付き物だった。そうして子供の頃からお茶に親しんできたのだ。

まだ療養中だった頃、友人を介して、私が生まれた年ぐらいから有機緑茶を作り続けている茶農園と出会った。そこで作られている日本茶全種類を送ってもらい、飲み比べしてみた。こんなことするのは生まれて初めて。

一つひとつ丁寧にいただいた。 Photo by わさびつんこ

同じ茶農園で作られたお茶でも、製茶に至るまでの工程が異なるだけで随分と味が違うことに驚いた。私は益々日本茶の魅力の虜となっていった。

コロナで日本に行く機会はなかった代わりに、オンラインでの日本茶お勉強会に積極的に参加した。茶商や茶師、いろんな方々との新しい出逢いに恵まれた。

趣味ができ、さらに家族が協力してくれたおかげで、「 Csillagerdő Moments  ~ 星之森~  」という名の店を立ち上げることができた。まだ誕生したばかりの小さなお店。ここで日本茶を通して、みんなに幸せな瞬間を提供していきたいと思っている。

そして今、私には次なる夢がある

それはいつか「 日本茶インストラクター 」の資格をとること。そして、いずれは日本茶の魅力を伝える日本茶大使に任命されるまでになりたいと思う。

仕事と「 星之森 」。両立は大変ではあるけれど、有言実行なるか、乞うご期待 !

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ABOUTこの記事をかいた人

わさびつんこ

ハンガリー在住歴20年。ハンガリー人の優しい夫と思春期の渦中にいる 3 人の子供と田舎暮らしをしています。 コロナウィルスでの自粛生活と療養休暇のタイミングが重なり、有機野菜やスプラウト栽培をお勉強中。 趣味は音楽鑑賞と歌うこと。相田みつを氏の詩集『にんげんだもの』がバイブルです。