乳がんを患ったわさびつんこさん ( 在住約 20 年、40 代 ) の放射線治療が始まりました。毎日通院しなければならず、かなり大変。しかもその頃、ハンガリーでは新型コロナ感染が急拡大中。予防には細心の注意が必要でした。
治療はようやく終了するのですが、その後に待っていたのは、まさかの……。終盤に入った治療の様子を綴ってくれました。
治療が今の仕事
昨年 9 月、子どもたちの学校が始まってからまもなく、放射線治療 ( sugárkezelés ) に入ることになった。
平日は毎朝、5 週間、合計 25 日、というのが、私のプログラムだった。
あれ、手術でがん細胞は取り除いたのでは ? と思われるかもしれない。
放射線治療は、CT などの検査でも見つからなかった小さいがんや、診断されなかったために摘出されずじまいとなったがん細胞をやっつけるのが目的らしい。
治療が行われるブダペスト市のウジョキ ( Uzsoki ) 病院までは、車で片道 40 km 以上。朝は渋滞があるので、9 時過ぎからの治療に間に合うようにするには、家を 6 時半には出なければならない。
そんなことを友人に話したところ、「 うわぁそれは大変、まるで通勤だね !? 」と驚かれた。 でも彼女はこう続けた。「 今は、治療がつんこちゃんのお仕事だからね、がんばって ! 」
5 週間の通院期間中、この言葉を思い出しては気持ちを新たに強くした。私は、会社へ行くようにできるだけおしゃれな服を着ていくようにもした。マスクもハンガリー刺繍の有名なモチーフを使ったお気に入りを着けていった ( 本記事のアイキャッチ画像 )。
「 私はもう健康なんです。放射線治療は治療のおまけ 」と心に言い聞かせた。
私の場合、抗がん剤治療は主治医のいる聖ラースロー/ Szent László 病院、摘出手術は産婦人科外科医のいる聖イシュトヴァーン / Szent István 病院、そして放射線治療はウジョキ病院になった。
どの病院も敷地内にいくつも病棟があり迷う。当地で病院に行くなら、時間に余裕を持って行くことがおすすめ。
いよいよ放射線。浮かんだのはあの歌
治療では、事前にどこに、どの角度で放射線をあてるか CT 診断の結果を見ながら綿密なプログラムが策定される。
私の場合は、がん細胞を摘出した患部正面から 2 パターン、左側から 1 パターン、右脇の下リンパ 1 カ所と、合計 4 方面から放射線が当てられることになった。
毎日の治療は、だいたいこのような順序で進んだ。
薄暗い治療室に入り、黒くて冷たい寝台に自分で持ってきたバスタオルを敷いて横たわる。頭上には大きな円盤状の機械がある。
アシスタントが毎回同じ場所に放射線をあてられるよう、肌に直接ペンで縦と横に十字の印を描く。機械から発光する赤外線と肌のマーキングを合わせるのだ。
アシスタントが退室すると、大きな円盤が頭上を回りだす。ここから放射線が出てくることになる。
1 カ所ごとに 5 秒から 10 秒程度。
光が見える、というものでもなく、あてられて痛いという感覚もない。
それよりもいつも思い出していたのは、乳がんの先輩が言っていたこと。彼女は、放射線治療の寝台に乗って、頭上で回る円盤を見るたびに「 およげ ! たいやきくん 」を歌って気を紛らわしていたのだと。その気持ちがわかるような気がした。
副作用は ?
放射線治療では副作用と言えるような症状は幸いでなかった。
治療前には、皮膚が炎症や水膨れする可能性があるからと、治療の度に Bepanthen ( ベパンテン ) を塗るよう指示されていた。
私は毎日たっぷり塗った。そのお陰か、炎症などは最後までなかった。あえて言うならば、若干、皮膚が固くなったような、ちょっぴり黒ずんだような感じ。でも顕著な不快感や痛みはほとんどなかった。
放射線治療中には週に1度、皮膚炎や倦怠感など治療経過を見るためのカウンセリングがある。治療経過中や最後の専門医とのカウンセリングでも、きれいに治療できたと太鼓判を押してもらえた。内科の先生のアドバイスに従って、健康的な生活を維持していたことも大きいかもしれない。
そうして 10 月 21 日、やっと放射線治療が終わった。
まさかのコロナ感染
放射線治療での通院中、私は毎朝、ブダペスト市中心部の高校に通う娘たち2人を送っていた。ハンガリーでは新型コロナ新規感染者数がどんどん増えていたからだ。
学校までは片道 1 時間以上かかるので、いつもなら私が送るのは無理。だから娘たちはバス通学をしている。でも、登校時間が治療時間ともうまい具合に合ったので、感染リスクを最小にするためにマイカーで送らない手はなかった。娘たちとお喋りしながら過ごせる楽しい時間となり、早起きも通院も苦にならなかった。
その他にも手洗いなど徹底。家族全員コロナに感染することなく、無事に治療を終わらせることができた。
それなのに、そのわずか数日後、私は感染してしまったのである。
もともと治療終了の翌々日、借家からついに我が家へ戻ることになっていた。火事で半壊後、再建が順調に進み、何とか半地下と 1 階の一部を住める状態にしたからだ。そしてちょうど、その週末は 3 連休だった。
引越しには友人家族らが数人かけつけ、手伝ってくれた。ところがその数日後、そのうちの 1 人から陽性になったと連絡。
私は約 1 週間後、発熱。その後まもなく、味覚や嗅覚を失った。聴覚も衰えたような……。
思い返すと、彼とはほんの 5 分ほど 1 m 程度の距離を置いて話をしただけ。でも、迂闊にもお互いマスクを着用していなかった。
一緒に暮らしている家族はまったく症状が出ず、私だけだった。PCR 検査を受けに行くと、結果はしっかり陽性。
友人や知り合いは、「 つんこ、火事、がん、足の怪我に加えてコロナまで ! 」と災難続きのように受け止めて、心配して声をかけてくれた。
私自身は根拠はなかったが、軽度で済むだろうと思っていた。実際、高熱や肺炎に陥ることなく快復した。その頃に興味を持ち、勉強し始めたお茶をせっせと飲んでいたことが、もしかしてよかったのかもしれない。
抗がん治療で白血球の数値が低く免疫力も低下していたにも関わらず、重症に至らなかったのは幸いだった。そして、放射線治療中ではなかったことにも感謝した。感染に気づかず通院していたら自分だけのことでなく、免疫力の低い患者さんにもうつしてしまったかもしれず、そうなったら悔やみきれなかったであろう。
でも、引越しに手伝いに来てくれた友人も何人かコロナに感染させてしまい、申し訳ない気持ちが募るばかりだった。今では皆、快復したと報告を受けており、またほとんどの人が既にワクチンを接種したのでホッとしている。
そして、今
幸い、コロナ感染後の後遺症らしいものもなく、今は落ち着いている。髪の毛もずいぶん伸びてきた。
一方、手術以来、右腕は手先がしびれるようになり、筋が張っている。さらにむくみやすく、少し痛みが伴うのでうまく伸ばせない。だから今でも適度なリハビリや運動は欠かせない。
それでも、抗がん剤治療、がん細胞摘出手術、そして並行的にホルモン治療と放射線治療と続いた私の乳がん治療は今、一段落ついた形になっている。
今も受けているのは、4 週間に 1 回のホルモン治療と 3 カ月に 1 度内科の先生のカウンセリング。ホルモン治療の際は血液検査をして、からだの状態を確認。その他、3 カ月に一度 CT 検査を受ける。
そして今度の 11 月には、産婦人科の検査をすることになっている。
最初の診断から 1 年以上が過ぎた。その間、がんと向き合うことは、実は自分とも真正面から向き合うことでもあった。次回・最終回は、そうしたことをお伝えしようと思う。