骨折の診断が下り、ギプス装着を指示されたハイジ大福さん。( 下 ) では自宅療養や涙の自分で行う注射について。
そして一時帰国で待っていた大どんでん返し。マイナスの出来事の中でも笑いと感謝を忘れない大福さんの体験談です。
体験談の( 上 ) はこちら。
ギプスは空色で!
ギプス室。
「 最新技術の高価な物をこれからつけていきます。色は三種類。緑、水色、そして白。何色にする ? 」強面の技師は気だるそうに尋ねてきた。
「 水色でお願いします ! 」
ギプスにしては、のびのびとした空を想像させるキレイなブルー。不安な気持ちが一瞬和んだ。
いったん水に浸してから巻き始めたギプス包帯は、理科の実験のようにどんどん固まっていく。
見入っていたら、強面技師が話しかけてきた。「 僕は空手やっているのだけれど、今度日本へ帰ることがあったら、〇〇 流空手のお店に行って T シャツを買ってきてくれないかい ? 」
出た、初対面でも日本人と聞くと、真面目なのか冗談なのかいろいろ頼む人 !
でもそこで、すごい事を思い出してしまった。
3 週間後に里帰りだったんだ !
毎年楽しみにしている一時帰国。キャンセルの選択肢はなかった。このギプスで注射と共に機上の人となる私。
人生初体験の状況を想像していると、下の売店で松葉杖とギプスの上から履ける専用の靴を買ってくるよう、夫が指示された。
笑顔で戻ってきた夫が手にした松葉杖を見てみると、調節可能で下の滑り止めもしっかりしている。
夫は、「 聞いて ! 国の保険に加入していると 1 年に 1 回はこの立派な松葉杖、安く買えるそうですよ ! これ 3000 Ft ! 」と一人、とても嬉しそうだ。
よし、松葉杖は OK 。
しかし専用靴はどう見ても右足用 !!
でもこれが最後の一足だったらしい。なんとも「 ツイてない 」の連続だった。
でももうジタバタ言っても仕方ない ! 腹をくくった。
* Ft = ハンガリーフォリント。1 Ft = 約 0.41 円
天井と注射と感謝
家についてからは、リビングのソファベッドが私の生活場所となった。
トイレ以外は足を高くあげ、ベッドで絶対安静。
子供たちの送迎は全く出来なくなり、ご飯の支度もせず、ひたすら仰向け。天井を眺め続ける生活が始まった。
普段 10 秒もかからず行けるトイレやお風呂場が 1 分以上かかる。時に転びそうになったり、松葉杖で腕に力が入りすぎて筋肉痛になったり。直ぐに疲れてはまた仰向け。
そして毎日、決められた時間に広辞苑級の我がお腹の脂肪を摘まみあげ、自分でブスっと注射した。
私が処方されたのは FRAXIPARINE という抗凝固薬で、主成分はナトロパリンカルシウムというもの。
普通に買うと 10 本で 1 万 Ft 近くする高価なものだが、国の保険適用のため 7000 Ft くらいだった。( それでも高価ではあるけれど。 )
それにしても、注射は本当に気が重くなる日課だった。
でも「 血栓ができたら危ないし 」と自分に言い聞かせ 3 週間続けた。
自宅療養中は体はつらかったったけれど、家族や友人達のお陰で心はとても穏やかで感謝の毎日を送っていた。
ご飯を作って届けてくれた友人 ( しかも家族の分まで ) 、子供たちの送迎を手伝ってくれた夫婦、時に注射を刺す瞬間を見守り勇気づけてくれた子供達。
あの時の皆の優しさと感謝の気持ちは、これからの人生においてもずっと忘れないと思う。
いざ日本へ!
周りに助けられて、注射による青あざも増えた頃、いよいよ日本へ出発の日が来た。
注射器セットを機内に持ち込むために、事前に医師の診断書を取りそろえた。
予め 3 か所の空港で車いすが借りられるよう手配も済ませ、あとは機内で何も起こらないことを祈ってさぁ出発 ! 荷物もすべて 3 人の子どもたちに託した。
機内での松葉杖移動は難儀だった。
でも、さすがに座席でお腹を出してブスっとするのは人目が憚られる。トイレに注射器セット一式を持ち込んだ。機体が揺れる中、的を絞るのには苦労したが頑張ってなんとか終了。
どんでん返しの結末
日本に着いてからは、真っ先に行きたい場所があった。
それは整形外科医院。
残り 1 週間分の注射を持参し、医師にこれまでの経緯を説明した。
その途端、先生は、看護師さんとコソコソ内緒話を始めた。
そして先生に指示された看護婦さんが、携帯で何やら検索を始める。秘密会議が終わり、私の方へ向き直った医師は、落ち着いた口調でゆっくりと語りだした。
その注射、今すぐ止めて頂いて大丈夫です。
日本では有り得ないことですね。」
ええ !?
ええぇぇぇぇ!?
一瞬めまいがした。
嬉しいやら、
でも、毎回躊躇しながらも頑張って打ち続けていたのは、意味がなかったってこと?
続けてレントゲン撮影。
ギプスの上からでも投影出来るなんてすごいなぁと感動していると、さらに信じられない言葉が先生から発せられた。
う~ん、どう見ても骨折した形跡は… ありませんね。折れた後の状態には思えません ! ギプスを外しましょう !
先生、そんな笑顔でさらっと明るくおっしゃらないで下さいな。
「 骨折で大変でしょう 」と心配し助けてくれたみんなの顔が頭に浮かぶ。
どうしよう、何て説明しよう、実はそうじゃなかったなんて。
でも、今日から不便なギプスと嫌な注射から解放される、\ やったぁ ! /
再診断、下る
その後、医師は電動ノコギリを取り出し切り始めた。
「 なかなか頑丈で切れませんね、もっと強くしますね。 」
ハンガリー製ギプスは、日本のよりも頑丈なのかな ?
皮膚表面ギリギリのところまで甲高い音を立てながら行ったり来たりするノコギリを見ながら、先生、脚まで切りませんよね ! とヒヤヒヤ。
でも嬉しい気持ちの方が勝っていた。早く粉々に解体してほしかった。
やっと切り終わり、久し振りに素足と対面。
空気にあたった解放感は半端なかった。
でも、残念ながら細くはなっていなかった。そして足首周辺が真っ青で何とも弱々しい見た目。
先生は、レントゲン写真と足の模型を見せながら、詳しく説明してくれた。それを一言で言うと、
「 重度の捻挫でしたね。」
ガクッ……!
こんなオチ付きだった私の骨折 ( 疑惑 ) 事件。
今考えれば、ハンガリーでレントゲン画像を違う医師にも見てもらい、セカンドオピニオンを求めればよかった。
今後は怪我に十分気を付ける事は勿論のこと、信頼出来る病院や医師をじっくり時間をかけて探していこう。
あれから 1 年。お陰様で足は完治。そして、お腹の注射針の跡もすっかり消えた。
今は毎週、1 ~ 2 回テニスを楽しむ生活に戻っている。
*すべて「私の」場合
● 少し捻りました。( かなり軽度 )
→ Félreléptem. ( フェールレレープテム。)
● 捻挫をしました。( 軽度~重度まで )
→ Kificamodott ( または Kiment ) a bokám. ( キフィツァモドットゥ ( キメントゥ ) ア ボカーム。)
● 足首の骨にひびが入りました。
→ Elrepedt a bokám. ( エルレペドトゥ ア ボカーム。)
● 足首の骨を折りました。
→ Eltört a bokám. ( エルトゥルトゥ ア ボカーム。)
● 足首にギプスをはめています。
→ Be van gipszelve a bokám. ( ベ ヴァン ギプセルヴェ ア ボカーム。)