国会は10 月 6 日、公的医療機関の医師の給与を倍以上引き上げる法案を全会一致で可決しました。医師の低賃金は長らく問題とされてきたため、誰も文句は言わないはず。
しかし医師の間で、戸惑いや、政府の計略にまんまと乗せられたという思いが日に日に強くなっているようです。医師らの労働組合は、大統領に法発効のための署名をしないでくれと要請するまでに。それは、ハンガリー公的医療システムの大変革につながり、大きな混乱が起きそうだからです。最新事情をまとめました。
3 つの柱
この法律は次の 3 つの柱から成っています。
- 医師の給与引き上げ
- 医師への「 袖の下 」禁止
- 公的と私立医療サービスの分離 ( 医師が、公的医療機関とプライベートクリニックで診療を掛け持ちするのは原則禁止 )
法律の対象は、公立病院や診療所で勤務する研修医、医師、歯科医、薬剤師など (*)。 それぞれの柱について、見ていきましょう。
*家庭医に関しては、政府は今後、医師会と協議して決定する方針を表明済み。またプライベート診療を行う医師は対象外。
給与は倍以上に
給与は今後 3 年間、3 段階で引き上げに。
上昇率は勤続年数により異なるものの「 倍増 」にはなります。オルバーン首相が「 かつて見たこともないの引き上げ 」と言うくらい、確かに相当インパクトがあります。
例えば、研修医。現在の基本給与 は 25.5 万 Ft ( 月、総額 ) で、今年の保証賃金 ( 中等教育以上修了者 ) の約 21 万 Ft を僅かに上回る程度。ハンガリー人の平均月収 39.5 万 Ft ( 20 年 1 – 7 月期 ) にははるかに及びません。
それが、来年 1 月には 48.1 万 Ft、 3 年後には 68.8 万 Ft になります。つまり約 2.7 倍に。
勤続 41 年のベテラン医師であれば、来年 1 月からは 167 万 Ft、3 年後には 238 万 Ft になります。ちなみに、オルバーン首相の首相としての月給は現在、税込みで 150 万 Ft です。
ハンガリーではかねてから、医師が、給与の高い西欧諸国へ出ていくケースが多く問題になってきました。新たな給与体系でも西欧水準には及ばないものの、政府はこれで格差が縮小され、国外流出が減ることを期待しています。
「 袖の下 」は禁止
2 番目の柱は、hálapénz ( ハーラペーンズ = 医師への謝礼金 ) の禁止。
2021 年 1 月からは、医師に謝礼金を支払う者は贈賄として、また受領する医師は収賄として最大禁固刑 1 年の罰が科されることになります。
例外として、現金以外の少額ギフトだけは認められます。「 少額 」とは、その年の月額最低賃金の5%未満であり、2020 年であれば約 8000 Ft。
医師は、1 回につきその程度の贈り物であれば受け取り可能。長期入院患者からであれば 2 か月に 1 度、同程度の贈り物が認められます。
この「 謝礼金文化 」は、ハンガリーではもう何十年も医師の低賃金を補う必要悪として存在してきました。
本来、国家健康保険に加入していれば、公的医療の基本サービスは自己負担ゼロ。しかし実態は、白い封筒に現金を入れ医師に手渡すことが広く行われてきたのです。
名医に診てもらうため、何か月も待たずに検査を受けるためなど、便宜供与のお礼として。また救急でお世話になったから、手術でうまくいったから、などもよくあるパターンです。小児家庭医は今回の法律の対象ではありませんが、自宅に往診に来てくれたら渡すのが一般的です。
現行制度では、こうした「 謝礼金 」は、受け取った医師がきちんと申告し所得税を納めていれば禁止ではありません。認められないのは、医師自ら謝礼金を患者に求めること、また術前や診察前に受け取ることです。しかしこの辺りは当然グレーで、完全にチェックしようもありません。
さらに、本来は誰しもが負担なく平等に受けられるはずの医療サービスが、謝礼金を渡せる者が恩恵を受けやすいという歪な形に発展してきたことも、誰も否定しないでしょう。
公的と私立医療サービスの分離
ハンガリーでは近年、プライベート( 私立 ) の診療所がとても多くなっています。
お金はかかりますが、その分、イライラの元である待ち時間なし、キレイ、看護師や受付担当者も親切なので、今後ますます増えることでしょう。法律の 3 番目の柱は、公的と、こうした私立のサービスを分離することです。
具体的には、来年 1 月から、公立医療サービス機関で働く医師向けには新たな雇用形態がつくられます。契約した医師や研修医は、上記の基本給が保証される一方、プライベート診療所を掛け持ちすることは原則禁止。勤務先の病院から許可を得た場合のみ可能になります。
この背景にあるのはハンガリー特有の事情で外国人には分かりづらいところですが、ざっくり説明しますと……。
ハンガリーで現在、働く医師は約 2.5 万人ほど。しかし、一つの国立病院に雇用され、そこでのみで働く医師は少数派です。
医療分野専門家のレーカシ・バラージュ氏によりますと、6 ~ 7 割は、メインの病院に加え、別の場所 ( 時に数か所 ) でも働いています。
別の場所とは、自分の個人診療所のときもあれば、いくつかのプライベート診療所と契約していることも。さらに、複数の国立病院を掛け持ちしていることもあります。( 出典: Telex.hu )
こうした医師らは多くの場合、プライベート診療で診ている患者に手術が必要な際は、設備も人的資源 ( 看護師や麻酔専門医 ) といった人的資源も揃った国立病院で行います。
一方、プライベート診療のみで働く医師は 1 割ほど。主に、整形外科、産婦人科、皮膚科、形成外科の医師たちです。
これらの医師も、例えば産婦人科医であれば、通常の妊婦健診は個人診療所などで行いますが、分娩となると国立病院の施設を借ります。
いろいろケースはあるようですが、例として、医師は無料で施設を借りる代わりに、その病院で週に数回、無報酬で超音波検査を担当するといった契約を結んでいるのです。
政府からすれば、あまりに一般化したこうした行為は、公的病院の設備やスタッフの「 ただ乗り 」。そのため、この奇妙に入り混じった状態を解消するのが狙いです。
医師らの懸念と不信感
医師らは最初、政府の対応を歓迎。というのも、政府はこれまでハンガリー医師会の給与提案に対してチマチマと引き上げるだけだったのが、いきなり「 満額回答 」をしたからです。
袖の下文化についても、一足飛びになくなるかどうかは別にして、医師会はなくしていくべきという考え方。医師の中には、1001 orvos hálapénz nélkül という謝礼金廃絶を積極的に提唱するグループがあるくらいです。
しかし第 3 の柱、公と私サービスの分離は、時間が経てば経つほど、医師の中で当惑や心配、政府への不信感が募っています。
医師会らは、既に公私はがっちり絡み合って相互依存状態になっているため、来年 1 月から一気に分離した場合、医療システムが大混乱に陥ると警鐘を鳴らしています。
医師が両方の部門で働けないことは、双方の部門で医師不足になりかねず、結局とばっちりを食らうのは患者という主張です。
そもそもこの変更へのプロセス自体、異様に短いものでした。
オルバーン首相が医師会と協議し、給与大幅引き上げで合意したのが 10 月 3 日 の土曜日。政府は月曜日 には法案を国会に提出。そして火曜日には法案は可決。僅か 4 日間で決まったことになります。
医師会によると、土曜の会合で話し合われたのは給与引き上げと謝礼金の廃止のみでした。政府から 34 頁にわたる法案を示され、初めて新しい雇用形態での様々な義務や制限規定を知らされることに。意見を言うよう与えられた時間は僅か 4 時間。当然、法律を正しく理解し、精査している暇はありませんでした。
最初は、政府が医師会の長年の願いを受け入れ、紳士的に振舞ったかのようでした。
しかし、政府にとっての本丸は、実は公私の分離だったのではないかとの見方が大きくなっています。医師から抵抗される前に、賃上げとセットにして国会でスピード可決させた、というわけです。法案自体も随分前から用意されていたはずと見られています。
国会採択後、医師会は、このように社会に大きなインパクトを与える事柄について、関係者との協議もないもまま進められたことに不満を示す声明を発表しました。
あと 3 か月足らずで強引に実施すべきではなく、「 我々は兵隊ではない!」と宣言。政府との協議を要請しました。
政府は、法律自体は修正しない方針。しかし細則については、医師会と協議し政令で決めていくとしており、13 日に協議を開始しました。( なお、アーデル大統領は 14 日、法律に署名したため、予定通り来年 1 月の発効が決定。) 今後の協議の行方が注目されます。