生後 11 か月で 1 型糖尿病になった息子さんを持つブラニョさん。連載 ( 2 ) は、集中治療室での治療後の入院生活について。
病院任せではなく、自分でどんどんやらなければなりませんでした。
息子と 1 型糖尿病 ( 1 ) はこちらをご覧ください。
インスリン注入と食事管理
息子は幸い危険な状態は脱し、集中治療室は 3 日ほどで出ることができました。
その後は、同じこども病院内の糖尿病患者の部屋に移ることに。幼稚園児から小中学生、高校生くらいまでの子どもがいて、息子は一番小さな患者でした。ここで 3 週間過ごしました。
この間、私は、インスリン補充と食事による毎日の基礎的な管理方法を身に着けることになりました。
「 1 型糖糖尿病 」は、「 2 型 」とは違い、インスリンを分泌するすい臓の「 ベータ細胞 」自体が破壊されてしまう病気。そのためインスリンを出す力が弱まったり、まったく出せなくなったりします。
現在、根治方法はないため、治療の中心はインスリンを絶やさないよう外から補充すること。
もう 1 つ大事なのは食事。炭水化物の摂取量に合わせてインスリンを注入するため、栄養バランスを考えながら食事量をコントロールしていきます。
刺すのは自分で
インスリン注入には、「 ペン 」という注射器を通常使います。
でも、当時の息子はあまりに小さく、必要とする量が 1 滴にもなるかどうかというほど。ペンで注入できる 1 回の最低量にも満たなかったため、「 インスリンポンプ 」という小さな器械を使うことになりました。
ポンプ本体にはインスリンを入れておきます。ポンプからはとても細いチューブが出ていて、その先端を皮下に入れることにより、常にインスリンが体内に注入される仕組みです。
ただ、チューブの先を皮下に入れるためには、細い注射針のようなものを腿や、おなかなどに刺さなければなりません。
衛生上の理由で、 2 日に 1 回の交換が必要。病院では、治療中だからと言って看護師さんがやってくれるわけではありませんでした。1 度だけやり方を見せてもらい、その後は私が自分ですることになったのです。
入れ込むには、肌の肉をつまんで持ち上げ、長さ 2.5 センチ程度の針を斜めにスライドさせるようにします。深さ 1 センチくらい入れないと、チューブが抜けてしまうのです。
その他にも、血糖値を測るのが 1 日 7 ~ 10 回。指を針で刺して血を少しだし、専用の測定器で図ります。朝と晩、食べる前、食べた後など。
看護師さんには「 うまいですね 」と褒められましたが、チューブの入れ込みも血糖値測定も、毎回泣きそうでした。
慣れていないこともありましたが、息子の小さな指やおなかなどに針を刺すという行為自体が、私にはなかなか受け入れられなかったのです。
食事の度につらい想い
入院の間には、糖尿病の食事に関する保護者のための勉強の時間が数時間ありました。
それ以外には、栄養士さんが病室に来て子どもたちに炭水化物の計算方法などを教える様子を見学。クイズ形式を取るなど、子どもが飽きずに勉強できるような工夫が満載。小学校低学年くらいの子でも、炭水化物の量は「リンゴ 1 つで 7 グラム」、「 パン 1 枚なら重さの半分 」、とよく覚えていて、驚くとともに勇気づけられました。
息子はというと、母乳はもう卒業しており、少しずつ離乳食も始めていた頃でした。
でも、食べてよい炭水化物量も少なかったので、まずは出来合いのベビーフードを食べることに。
生まれた頃から食欲旺盛だった息子には、 1 食 1 瓶のベビーフードはまったく足らず。そのため、食事が終わるたびに泣くのですが、それでも好きなようには与えられません。息子をあれやこれやとなだめながらも、私自身も心の中で泣いていました。
この頃は、つらいことばかりでした。
本当は毎日病院に泊まって息子のそばにいてあげたかった…。でも、初めの頃の数回を除いて、夜になると帰宅していました。担当医や看護師からは、私も休むように散々言われていたからです。それに家では、糖尿病の管理に関する勉強もしなければなりませんでした。
毎晩、私が帰ろうと看護師さんにバトンタッチすると、息子は決まって泣きました。
廊下にまで響いてくる泣き声を思い出すと、今でも胸が締め付けられます。
確かに、家に帰って休んだり勉強したりする時間は必要だったでしょう。でも、まだ 1 度も母親と離れたことのない乳児に対して、本当に最善のやり方だったのか、ものすごく可哀想なことをしてしまったのではないかな、と今でも思うことがあります。
支えてくれた人たち
私には娘もいて、息子より 4 歳年長です。息子が発症したときは 5 歳で、幼稚園へ行っていました。病室には子どもは入れなかったので、娘は 3 週間後の退院まで 1 回病院へ弟に会いに来ただけでした。
私は朝から夜遅くまで毎日病院へ通っていたので、娘はとても寂しい思いをしたはずです。
この時ほど、自分の体が 2 つも 3 つもあったら…と思ったことはありません。幸い、近くに住んでいる義理の両親が、娘が寂しくないように多くのサポートをしてくれました。
そして、娘がいてくれたおかげで、しっかりしなくては、と思えたことが何度もあったのです。
また、幼稚園の先生方もとても気にかけてくださりました。息子をよく抱っこして娘の送り迎えをしていたので、先生方もよく知っていたのです。
家族のサポートや周りの人々の気遣いが有難く、そのお陰でこの時期をなんとか乗り切れたと思います。
次回は、「 病気とのつきあい方 」。まるで糖尿病に支配されガチガチに管理していた毎日から、うまくつきあえるようになった経緯です。