
ブラニョさんの息子さんが生後 11 か月で 1 型糖尿病を発症してから、この 4 月で 18 歳、成人に。
彼はこの病気とともにどう成長し、今どう考えているのでしょうか。そして、長年支えてきたブラニョさんの気持ちの変化は? 連載終了後の様子を綴っていただきました。
※ ブラニョさんの過去記事一覧はこちらから
もくじ
日本への引越、そして高校生になった息子

息子は11番。通っている国際学校では、シーズンに合わせて違うスポーツをします。
こんにちは、ブラニョです。
連載終了の2年後、私たちは夫の仕事の都合でハンガリーから日本に移り住みました。息子が 13 歳の時です。
あっという間に私の身長は追い越され、今では別人のよう。勉強やスポーツ、友人とのつきあいに忙しい、どこにでもいる高校生です。
思春期 ( 第2次成長期 ) を迎える前は、ホルモンバランスの変化が血糖値に影響するのではとの心配もありましたが、それはあまり意味のないものでした。
実際には、そもそも血糖値が安定すること自体がほとんどなかったのです。風邪気味だとか運動後だとか、食事の内容により常に変動します。なので、思春期が始まってから値が乱高下して大変だったとか、その時期を過ぎたからとても安定したということもなく。その時々の状況に合わせて対応するしかない、というのは今も同じです。
日本との違い
日本での糖尿病管理には、慣れるまで少し時間がかかりました。ここで借りているインスリンポンプはハンガリー語表示も可能でしたが、血糖値の単位が異なり mmol/l を mg/dl に変換する必要がありました。
また、食品の炭水化物量も違うのです! 例えばリンゴ。日本産の方が甘いので、炭水化物量も多め。そのため、ハンガリーで覚えていた炭水化物量を一から見直すことになりました。
さらに、日本には地震が多い、という特有の事情が。そのため主治医からは非常時に備えて、ペン型インスリン注射器も練習するように勧められました。息子はそれまで一度も使ったことがなかったのです。
「責任者」のバトンは息子に
ハンガリーにいた頃から、息子は少しずつ自己管理できるようになっていました。幼稚園では自分で指を刺して血糖値を測り、小学校ではインスリンポンプを操作できるように。
最後に残っていたハードルが、ポンプからインスリンを投与する細いチューブ ( カニューレ ) を皮下に挿入することでした。連載を終了した頃は 11 歳で、まだ 1 人ではできていませんでした。

インスリンポンプからインスリン投与のためのチューブ。交換できたのは私か夫だけでした。 Photo by ブラニョ
カニューレ挿入には、細い針を使って穿刺します。差し替え頻度は通常 2 ~ 3 日に 1 度ですが、刺し位置が良くないと血糖値が上がることもあるので、それよりも頻繁になることもあります。大人でもコツを得るまで練習が必要です。
本人にとっては、刺すと痛いので、恐怖との戦いでした。
できるようになったきっかけは、ハンガリーでの 1 型糖尿病の子たち向けの合宿に参加した時のこと。合宿で他の子たちがしているのを見て勇気づけられたようです。これにより一人でも外泊できるようになり、行動半径もぐんと広くなりました。
最近のポンプは学習機能を備えていて自動設定も可能ですが、食事や体調を考慮して手動でインスリン投与量を調整することもあります。この辺りのことはすべて息子に任せており、私は最新機能のことを、怖いほどわかっていないです (苦笑)
振り返ると、赤ちゃんから幼児の頃までは、母親である私が「全責任者」として管理していました。
でも次第に、息子と二人三脚で行うように。そして今、「責任者」のバトンは息子自身へと移りました。彼も頑張ってくれたなと思います。
心配するより信じて任せる
息子は来年の夏に高校を卒業し、ヨーロッパの大学で勉強したいと言っています。
そうなるとひとり暮らしが始まりますが、糖尿病の観点ではそれほど心配していません。
息子が自己管理するようになってもう数年。その間、トラブルがまったくなかったわけではありませんが、基本的に自分で解決してきました。ポンプが故障した際は、初めてペン型インスリン注射器を使い、経験を積むことに。また鼻から入れる低血糖対策の薬剤も常備し、スポーツチームの仲間やコーチに情報共有しています。
もちろん、進学先の国の医療体制についての事前調査は必要です。でも、1 型糖尿病はヨーロッパで珍しい病気ではないため、なんとかなるでしょう。
あまりにも心配して、血糖値を逐一チェックし口出ししたり、行動を制限したりすると、本人を信頼してないことと同じ。それは決してよいことではありません。親としては腹をくくって送り出すしかないのだと思います。
むしろ心配なのは、自炊や洗濯など、生活全般をちゃんとやれるかどうかです (笑)。
予期しなかった息子の答え
今回の寄稿にあたり、息子に「糖尿病についてどう思う?」と思い切って尋ねてみました。悩んだり、理不尽だと感じたりしたことはある ? と。
彼の答えは、
「 一度もないよ! 」
何も迷うことなく、きっぱりと。
正直、驚きました。 今まで、答えを聞くのが怖くて、きちんと尋ねられずにいたのです。血糖値を常に気にしながら生活することを煩わしく思っているのではないか、病気になったことを恨んでいるのではないかと——。
息子が続けました。
「 痛いこととか、うざいこととか (笑) もちろんあるよ。でも、それについて考えても仕方ない 」と。
「 糖尿病は自分の一部。 糖尿病だからこそ、自分に責任をもって生活できるようになったし、人と違っていても自分が良いと思うことを信じて行動する力がついたと思う。自立心も。もちろん糖尿病だけが理由ではないと思うけれど 」
エピローグ:不器用だったかもしれないけれど
実は今回、これまでの連載記事を全部読み返した時、私、泣いてしまったんです。あぁ、息子が小さいときは、右も左もわからないことだらけで、すごく大変だったなーと。
私はまさに余裕ゼロでした。あんなにギチギチせずに、もっと穏やかにできたことも沢山たくさんあっただろうに。心配するあまり息子に厳しくしすぎたり、イライラしたり。息子にかかりっきりだったから、まだ幼かった長女にも色々かわいそうなことをしたなーと。
でも子育てってそんなものかもしれません。親が完璧でなくても、ちょっとばかり不器用だったとしても、子どもは育って行きます。
今、大学生になった長女はひとり暮らし。息子も知らぬ間に、背だけなく心も親が思っている以上に大きく成長していました。心配するより信頼する。巣立っていく日が、もうそこまで来ているようです。

家族でいっしょにピザ。2024 年、娘の留学先イタリアを訪ねた際に。次は息子の留学先をみんなで訪ねる日が来ることでしょう。

写真はすべてブラニョさん提供。