つんこ、がんと向き合う ( 3 ) 公表への想い

乳がんと闘う、わさびつんこさん ( 在住約 20 年、40 代 )。闘病だけでなく、様々な試練が次から次へと重なりました。そんな中、なぜ、自分自身の状態を公表しようと思ったのでしょうか。これまでに何を感じ、何を想い、この連載を続けているのか、その胸の内を綴ります。

愛と優しさが与えた強さ

今回は少し治療のことから離れて、人から厚意を受けること、なぜここで連載を始めたかについて書こうと思う。

第 1 回で記した通り、私は今年になってから早々に自宅が火事に見舞われた。そして、2 月末にがん発覚3 月上旬に左膝の靭帯を損傷した。

つんこ、がんと向き合う ( 1 ) いまから、ここから

2020.06.05

並べて書くと、どれだけ不幸の連続だったかと思われるかもしれない。

でも、『 禍福は糾える縄の如し 』 という言葉通り、この間、私は想像をはるかに上回る、抱えきれないほどの愛とやさしさを周囲の人々から得てきた

そうでなければ、いくら強い気持ちで向かおうと思っていた私もくじけていたかもしれない。

火事のことから始めると、7 割以上焼けてしまった自宅には、もちろん住むことはできなかった。しかしそれでも、これまで路頭に迷うことなく生活できている。

最初は、近所でホテル経営をしている友人が 10 日間、 2 部屋を無償で用意してくれた。「朝食も遠慮なく!」とまで言ってくれた。

その間は、火災証明、保険会社とのやり取り、瓦礫の片付けや掃除に明け暮れる毎日。

恐ろしい火事が脳裏に焼き付き、眠れない日々を過ごした。それでも清潔なベッドで横になれることほどありがたいことはなかった。

同じ町に住む友人は、フェイスブックでグループを作り、洗濯当番や夕食招待表まで作成。

私や夫、3 人の子どもたちが当面着る分の洋服もあっという間に揃えてくれた。友人たちのお陰で、なんとか衣食住に困らず過ごすことができた。

1 月半ば、ホテル滞在の後は、近隣の町に住む友人宅に。私たち家族だけで過ごせるようにと家の一角を準備してくれた。

身の回りの最低限のものだけ持って転がり込むと、バスケットに食料やキッチン用具等の物資援助品が用意されていた。

居候先においてあった友人からの物資援助品の一部 Photo by わさびつんこ

そして 2 月末にがんと診断。

ハンガリーでもコロナウィルス感染が騒がれ始めた頃だった。ブダペストの高校に通う娘たちは感染者となる可能性も高い。

小さな子どものいる友人宅で、いつまでも居候というわけにはいかなかった。家の再建のためにも、自宅がある町で借家を探すべき時が来ていた。

3 月に入り、そこでも運に恵まれた。

自宅からまさに目と鼻の先に住んでいた友人から、ブダペストに移るので家を貸してくれると連絡あり。私たちは約 1 週間後の 3 月 8 日に引っ越しできることになった。

まさかの一撃、募る情けなさ

しかし引っ越し2日前に、靭帯損傷の大怪我。抗がん剤の治療に耐えられるだけの体力をつけようとジョギングを再開したのが裏目に出てしまった。

しかも、普通ならあり得ない状況。いっしょに走った友人の飼い犬が、小雨で大はしゃぎして、勢いよく後ろから私の左足に激突したのだった。

左足は膝から大きく左方向に曲がり、力が全然入らない。即、クリニックに向かうと通常なら手術が必要と。

しかし乳がん治療を優先させるために先送りになった。その代わり、針金の板が入った大きなサポーターを 24 時間 6 週間装着しなければならなくなった。

そしてやってきた引っ越し当日。

抗がん剤治療開始前だったが、膝は曲げられないので歩くスピードは実年齢の倍。階段の昇降は一歩一歩で、荷物を持つどころではなかった。

家族や友人らが手際よく動いているのを見ながら、まったく戦力にならない自分がもどかしくて情けなかった。

日本人は、誰かに何かをしてもらった時、「ご迷惑をかけた」、「申し訳ない」、「すまない」と思ってしまう。足が不自由な私は、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。今年はそんなことだらけの毎日だった。

そんなとき、ハンガリー人の義母が「助けの手を差し伸べることは簡単よ。でも、ご厚意を受けることは難しいものね」と。私の気持ちを察してくれたのかもしれない。

居候させてくれた友人も、「みんな、わさび家を助けたくて、うずうずしているんですよ。」と、言ってくれた。

私は今、ご厚意を素直に受け取り、心から感謝することを学んでいる。

瓦礫清掃も友人らが手伝ってくれた。「再建は家だけではなく、仕事の忙しさを理由に稀薄にしていた友人との絆の再構築でもあった」   Photo by Ako

マスクづくりがきっかけに

自宅そばへの引っ越しも一段落し、本格的に療養生活が始まった。治療に専念しようと思い休職したものの、いざ、それが現実となると、自宅と会社での時間の流れの速さの違いに困惑していた。

会社では、報告書作成、会議等であっという間に時間が経つ。毎日、充実感に満たされ一日を終えていた。一方、自宅での 9 時間は長い。自分は何ができ、何をしたいのか。そんなことから探し始めなければならなかった。正直、模索する日々だった。

その頃、世間はコロナで外出制限に。社会全体もなんとなく閉塞感が増していた。そんなところ私の住む町で、マスク作りのコミュニティができたという。ある友人は、私が療養休暇中であると知っていたうえで誘ってくれた。

手作りマスク  Photo by わさびつんこ

そこで、火災でも奇跡的に残っていたハギレから 32 枚のマスクを作りあげた。布を洗って、アイロンをかけて…そして、縫う。「誰がつけてくれるかな。」 久しぶりに、人の役に立てる喜びで心が満たされた。

今後については未だに模索中。でも、確信したのは、やはり私は誰かのために一生懸命になっているときの自分が好きだということだった。

そんな思いを、療養中であることも含めて、SNS に投稿した。実は、自分の身体については書こうか、どうしようかーー。友人に心配をかけたくなくて、しばらく迷っていた。

でも、思い切って公表してしまった。黙っていたら、同じように治療を頑張っている方や寛解された方とつながることは出来ないんじゃないか…と考えたからだ。

そうしたら、思いのほか、たくさんの優しさ溢れるメッセージや励ましが届いた。サバイバーの方々からはポジティブなメッセージや貴重な情報も。 感謝の気持ちでいっぱいになった。

その数日後、「ハンガリー暮らしの健康手帖」の管理人さんから連絡。彼女とは 20 年来の友人で、私の病気のことは既に知っていた。でも SNSで私が明かしたのを読んで、ここで連載を書いてはどうかと提案したのだった。

二つ返事で引き受けることに。自分自身を見つめなおす絶好の機会であると思ったからだ。加えて、応援し続けてくれている友人や親族、同僚や知り合いに何ができる?と考えたとき、感謝の気持ちを込めて執筆することが一つの答えだった。

自分自身が寛解という大きな目的達成のため、前向きに乳がん治療と向き合っている間、どのような思いを抱きながら過ごしているか。更には、健康を取り戻すための食生活や生活習慣の改善方法や医療情報を発信することで、誰かが勇気を得たり、前向きになれたり、私が経験したことや情報が少しでもお役に立てられればと願っている。

つんこのおすすめ

ご厚意は素直に受けよう。
ご厚意を素直にうけた時、心から「ありがとう」という。それは、絆が深まる美しい瞬間。

By つんこ


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ABOUTこの記事をかいた人

わさびつんこ

ハンガリー在住歴20年。ハンガリー人の優しい夫と思春期の渦中にいる 3 人の子供と田舎暮らしをしています。 コロナウィルスでの自粛生活と療養休暇のタイミングが重なり、有機野菜やスプラウト栽培をお勉強中。 趣味は音楽鑑賞と歌うこと。相田みつを氏の詩集『にんげんだもの』がバイブルです。