4 月に始まった連載も今回で終わり。これまでブラニョさんには、息子さんが発症したときの危険な状態や心の苦しみから、1 型糖尿病の物理的なケアや向き合い方、また主治医を変更した経緯や保険制度についても語っていただきました。
最終回は、この 10 年間を振り返り、今、ブラニョさんが想うこと、そして願うことについて。
「 普通の日 」に
2 月 19 日。それは、息子が糖尿病と診断された日でした。
最初の頃はこの日が来ると、いつも悲しい気持ちになっていました。
でも 10 年以上経った今では、気づくこともなく過ぎていく、他の日と変わらない一日です。
また、自分はもう一生笑えないのではないか、とも思っていました。
でも今は、息子が病気になる前と変わらず笑うことのできる自分に戻ることができました。
もちろん、ここへ来るまでには、高血糖値、低血糖値、チューブ取り換えと、直面した大小の問題は数知れず。
そのたびに緊張したり、気が重くなったり、悲しくなったり、神様を恨みたくなったり…。でもいろいろな経験を積んで、そんな日も少なくなりました。
そして息子も、もう 11 歳。
いつでもどこでも一緒だったのに、今年も去年も 1 週間の糖尿病のこども向けのキャンプに参加。意気揚々と帰ってきました。
今年の夏は一晩だけですが、友達の家にも初めて一人で泊りに行ってきたのです。
今できることをする
人間の適応力はすごいな、と思います。
周りからは、「 大変だろうな 」、「 私にはできないな 」と思われる事が多いですが、当事者となれば誰でもできるのです。
できるというより、そうするしかありません。
そしてそれは「 いつもの毎日」へと変わっていきます。
この 10 年間、「 糖尿病でなかったら 」と思うことは何度あったことでしょう。
旅行中、他の家族のように気の向くままに食べ歩きはできなかった時。
「 食べていいよ!」と言ってあげられなかった時。
夜中に何度も起きて血糖値を測らなければならなかった時。
仕事をあきらめなければならなかった時。
その度に、ぐっとこらえたり、割り切ったりしながら乗り越えてきました。夫に愚痴をこぼしたこともありました。
将来に関する不安は、これからも常につきまとうでしょう。
いつか一人暮らしになっても大丈夫なのか、ちゃんと結婚できるのか、息子に子供ができた場合に影響はないのか、合併症を発症しないか。
でも、これらは心配しても仕方がないこと。
今できることを一緒にやっていくしかないのです。ただただ不安に溺れてしまうより、目の前の問題を解決していくことが今できる一番の事と思います。
支えてくれた家族と友人、そして願うこと
この 10 年間、特に最初のつらい時期を乗り越えられたのは、家族、友人の支えがたくさんあったからです。
発病したのは、ちょうど引っ越しが既に決まっていた時でした。でも私には、荷物を詰めたり出したりしている余裕など全くなし。そんな時、義理の両親、そしてハンガリー人、日本人の友人たちが手伝いに来てくれました。
息子の病気の話を聞きながら涙してくれた友人にもどれほど救われたことか。
私の気持ちをちゃんと受け止めてもらえた気がして、あの瞬間から前向きになれたように思います。
息子が病気になってよかったと思った事は一度もありません。
「 糖尿病でなかったら 」と考えることが今は全くなくなった、ときれいごとを言うつもりもないです。
でも息子が病気になったことで、私も家族も日々、様々な感情や経験と向き合ったため、他人を思いやる気持ちが深まったのではと思います。
世の中には外からは見えない、もしくは見えにくい病気を持っている人がたくさんいます。
糖尿病もその一つ。彼らは低血糖という危険な状態に陥っても、酔っ払っているように見える場合があるそうです。そのため援助の手を差しのべてもらえない事もあると聞きます。
この連載を引き受けた際、「 一人でも多くの人に、この病気について知ってもらうきっかけになれば 」と思いました。
そうすることで、一人でも多くの患者さんが、助けを必要としている時、手を差しのべてもらえるようになれば、、、というのが私の願いです。
最後に、このような機会を与えてくださり、連載をする上で多くの時間を割いて下さった管理人の方々には、とても感謝しています。連載を読んでくださった皆様にも、心から感謝しています。