ブダペストで留学生活を送る Kentoushi さん ( 20代、男性 ) からの投稿です。ハンガリーに着いて 1 か月程度が過ぎ、少し環境にも慣れてきた頃、自転車事故に遭いました。当時の一部始終を前編・後編でお届けします。今回は、痛々しい事故発生から病院到着までの体験談です。
自転車で事故に
ブダペストに到着してしばらくした頃、僕は知り合いから自転車を借りました。電車賃の節約にもなりますし、日本ではよく使っていて便利だと思ったからです。
初めて市内を回ったときは驚きました。自転車用の信号に専用道路もあったからです。一見すると自転車に配慮しているように見えました。また当地では、自転車専用の印がない限り、歩道の通行は禁止。上写真のように車道を走らなければなりません。
しかし、日本とは違い、ブダペストの一般道路では、かなりの速度で車が行き来し、運転も荒いです。タクシーに乗ったときは、一体どこからが高速道路なのかわからないぐらいのスピードで走行していました。自転車は、時にその車と同じ道を走らなければなりません。乗ってみると、決して日本と比べて安全とは言えない環境です。
そんなブダペスト市内での走行にも慣れてきた頃、あの事故は起きました。
マルギット橋をペスト側からブダ側に下っていたときのことです。急ぐ用事があり、緩やかな下り坂をブレーキなしで走っていました。すぐ横を走るトラム ( 路面電車 ) とほぼ同等のスピード、体感だとおおよそ時速 20 kmは出ていたのではないでしょうか。
その瞬間、左手がハンドルから滑り、慌て、体の重心が右に大きく傾きました。ブレーキを片方だけ強く握ったせいか、余計に右にハンドルを切ってしまい、自転車は専用道路から大きくそれていきました。すると突然、目の前に大きなコンクリートの壁が。視界で覚えているのはここまでです。
頭と顔付近をバットで撃たれたような衝撃。すぐに麻痺したせいか、一瞬気を失ったのか、痛みは記憶にありません。
気が付くと、僕は橋の上で座ってうずくまっていました。自転車は後ろで横に倒れている状態。路上にあふれ出る血を見て、自分の体に起こっている事の重大さを知ったのです。そしてじわじわと痛みが出てきました。
道行くハンガリー人たちの素早いレスキュー
あっという間に、次々とハンガリー人の皆さんが歩み寄ってきました。そして、「 大丈夫か ? 」「 すぐに救急車を呼ぶから! 」と、英語で話しかけてくれたのです。
しかし、僕は『 救急車 』と聞くと大袈裟に感じ、しどろもどろに「 大丈夫、このまま休ませて 」と断りました。でも実際に、体は熱く、しびれていました。
周りから見ると、僕はひどい状態だったのでしょう。誰かが救急車を呼んでくれました。
その間、目の前にはたくさんの人が水や大きな絆創膏、ティッシュ等を差し出してくれました。中にはトイレットペーパーを鞄の中に入れてくれた方も。後からわかったのですが、ハンガリーの公立病院で入院する際は、トイレットペーパーを持参しなければならないのです。なんと気が利く方だったのでしょう。
周囲では、「 私たちは日本に行ったことがありますよ、日本が大好きです 」という感じのことを英語で話してくれたような気がします。ハンガリーは親日なんだな … と思っていると、だいたい 5、6 分後にはサイレンを鳴らした救急車が到着。
初救急車で病院、待ち受ける試練
救急隊員に「 立てますか? 」と言われ、簡易の車椅子のようなものに座らされました。担架で運ぶのではなく車椅子で救急車に乗車。そのまま車内に固定され、搬送。段差等でかなり揺れました。頭を打っていましたが、日本のように慎重に運ばれる感じではなかったです。
停車すると、そこには僕と同じように血だらけになっている人、骨折している患者さんがたくさんいました。どうやらここは、公立の総合病院内にある救急外来のようです。
医師の方でしょうか、白衣を着た年配のおじさんが近づいてきて「アレルギーはある?」、「どういう状況でこうなったの?」と英語で質問しました。僕は、不慣れな言語でたどたどしく説明しました。相手がどの程度理解してくれたかは定かではありません…。
だいたい 8 分後ぐらいに若手の男性看護師がやってきました。その手には注射器が ‼ 即座に注射しようとするので、「 ワット イズ ディス?! ( What is this ? ) 」と聞くと、よくわからない単語が返ってきました。日本語でも難解な医学用語を外国語で言われても、すぐに理解はできないと痛感しました ( 苦笑 ) 。
結局、わけがわからないまま、注射。でも、今思い返せば、あれは止血剤だったと思います。
しばらくして、再び医師がやってきました。そして、僕の名前と母親の名前 ( 旧姓 )※ 、現在の住所を書くように、と紙を渡されました。想像に反し、公立病院の医師は英語で対応してくれました。
※ ハンガリーの公的文書には、通常、母親の旧姓名の記入が必要です。
ふと気づくと、書類に記入し終えた僕にまた針先が…。先ほど注射した腕とは違う腕に1分間程針を刺したまま、割と大きな管に 3 本も採血されました。
実は、僕は注射が大の苦手。ショックで、猛烈な吐き気に襲われ、汗が全身から滝のように流れました。車椅子の上でぐったりしていましたが、周りは忙しさで容体の変化に気づいてくれません。
ようやく気分が回復してきたと思った矢先、 CT スキャン室へ移動。正確な時間は覚えていませんが、そこでもかなり待たされました。検査を終え、最初に到着した部屋に戻されました。
これからどうなってしまうのだろう、、、と不安よりむしろ恐怖に近かったです。この後も、次から次へと驚きと試練が待ち受けていました。
次回は、「 最怖 」?の瞬間やハンガリーでの入院生活をお話しします。