
わさびつんこさん ( 50 代、在住 20 年以上 ) が、乳がん治療やその時々の心の様子について連載で寄稿してくれてから 3 年半が経ちました。その後の経過や療養中に出逢った「お茶」との関係、がんを経験しての心の変化について綴っていただきました。番外編をお届けします。
※ わさびつんこさんの過去記事一覧はこちらから。
「 君は、もう治ったね 」
抗がん剤治療、がん細胞摘出手術、放射線治療を経た後も、約 2 年半にわたりエストロゲンの作用を抑え再発を防ぐためのホルモン療法を続けた。 4 週間ごとにお腹に注射し、その都度血液検査も実施。そのほか、内科医のカウンセリングや、CT・マンモグラフィー検査を定期的に受けてきた。
そして 2023 年の初夏、最後の投与の日、主治医による診察があった。先生はこれまでの記録を確認し、私の方を向いて「 これで君は、もう治ったね。また健康になったね 」と言ってくれた。
感慨深かった。治療中は「 再発したらどうしよう 」と考えないよう努めていたが、やはり心のどこかで不安があった。だからこそ先生の言葉を聞いた瞬間、心の重しが取れ、じわじわと喜びが広がった。

50 歳の誕生日。 家族と友人がサプライズで祝ってくれた。この数か月後、主治医から寛解したと言ってもらえた。
今は薬 1 種類だけ
現在服用しているのは、錠剤のホルモン抑制剤のみ。処方箋をもらうたびに血液検査を行い、CT・マンモグラフィー検査は年に 1 回受けている。
抗がん剤治療で抜け落ちた髪の毛は、今では背中まで伸びた。ただ、洗うたびにかなり抜けるので、たんぱく質を意識的に摂取している。
爪は薄く割れやすいものの、治療中に見られた黒い変色や凹凸はなくなった。
手が痺れやすいことがあるが、これは錠剤の副作用かもしれない。
幸い、「 疲れやすい 」と感じることはあまりない。十分な睡眠を取り、できるだけ散歩をし、ストレスを溜めないよう心穏やかに暮らしていることが良いようだ。

冬のある日、友人たちと地元の小高い丘へハイキング
自己肯定感ゼロからの脱出
最終回を書いたとき、私は長期療養休暇を経て、会社に復帰したばかりだった。一方で、療養中に出逢った「 日本茶 」の世界は心の支えとなっていた。勉強会や試飲会を続けるうちに、本格的に取り組もうと会社を設立。日本から仕入れた良質なお茶を地元の市場などで販売するようになっていた。
実は会社の方は復帰してから約 1 年後に退職した。お茶の世界にのめり込んだこともあるが、正直、会社での仕事が限界だったのだ。
会社では良い上司や同僚にも恵まれていた。しかし自分が、休職前とはすっかり変わってしまっていた。以前は「 一 ( いち ) 」を聞けば、数手先まで瞬時に考え行動できていたが、復帰後はその「 一 」ですら理解できない状態だった。
周囲は「 すぐ慣れるから焦らなくていい 」と励ましてくれたものの、感覚は戻らず。自己肯定感が失われ、毎日悔しさや不甲斐なさで文字通り泣いた。安定した収入を手放すのは躊躇したが、このままではメンタルが持たないと思い、退職して日本茶一本に専念することに決めた。友人が「 神様が与えてくれた命じゃないの。したいことしなくちゃ 」と言ってくれたことも、背中を押してくれた。
お茶を通じて広がる世界
それから私の毎日は、日本茶を中心にまわっていった。市場での販売を通じて様々な人と出逢い、やがて各地でのジャパンデーでの講演を依頼されるようになり、活動が広がっていった。もちろん営業して成立しなかったこともある。でも、不思議と落ち込むことはなかった。
並行して、日本茶インストラクター協会のアドバイザー資格や、日本茶アンバサダー協会のアンバサダー資格も取得。
その後、当地に滞在していた煎茶道「 東阿部流 」の日本人師範の方と知り合い、プライベートで指導を受けた。そして 2024 年 1 月、正式に東阿部流に入門。その方は帰国されたので、現在は家元の若宗匠からオンラインで指導を受けている。
こうしたなか、最近はイベントで煎茶道を披露することが増えた。今年 2 月には、在ハンガリー日本大使館主催の天皇誕生日レセプションでハンガリー人や外国の方々にお点前をした。
ブダペスト中心部のホテルのドナウ川とブダ城を見渡せるお部屋で、祝賀の席にふさわしい手作り練り切りとともに、宇治の玉露をお客様に楽しんでいただいた。当日はとても緊張したが、日本人として、このような機会にこのような場所で日本茶とその文化の素晴らしさを伝えられたことは、とても光栄だった。

天皇誕生日レセプションでのお点前。この会のために、日本から若宗匠が応援に駆けつけてくださったり、当地在住の書道家・光井一輝さんが当日の雅題「天仙益寿」をしたためてくださったりした。画像提供:つんこさん
.
.
天から与えられた使命
2020 年は新年早々自宅が火災に見舞われ、2月に乳がんが発覚。その翌週に膝靭帯を損傷した。もともと楽観的な私は「 私なら、私たち家族なら乗り越えられるからこそ与えられた試練 」と信じていた。
治療は決して楽ではなかったが、振り返れば人生の大きな転機だった。乳がんにならなければ、お茶の世界を知ることもなかっただろう。
というのも、「日本茶」という言葉がひらめいたのは、放射線治療を終えベッドで休んでいたときだったからだ。あの瞬間の、頭のてっぺんから足の爪先まで、そして心に、光の矢が刺さったような感覚は今でも忘れない。茶処・静岡県で生まれ育ち、ハンガリーに住む自分ができることは「これだ!」と直感したのだった。
すぐに故郷の親友を通じて有機栽培農家さんのお茶を全種類取り寄せ、1つ1つ飲み比べた。摘採のタイミングや製茶法で味がこんなにも違うのかと驚き、もっと知りたいと思った。すべてはここから始まった。
若い頃は自分の選択で道を切り開いてきたつもりだったが、今は導かれている感覚がある。お茶との出逢いも、何かに仕組まれた必然だったのかもしれない。
がんを経験した私にとって、日本茶は単なる「 嗜好品 」を超えて、心身の調和を整えるための中心的存在となった。そしてその魅力をさらに伝え、人の輪が広がっていく。この世界に入ってから知った言葉に「 茶縁 ( さえん ) 」があるが、私は今まさにそれを体感している。これこそが生きがいであり、「 天から与えられた使命 」なのだと思う。
つんこのおすすめ
★本記事の冒頭写真★
スペイン最西端のフィステーラ岬にて
2023 年夏、寛解とお墨付きをもらったカラダで、スペインの巡礼路( エル・カミーノ ) を 300 kmを歩きました。旅にもお茶セットを持参し、行く先々で出逢う人に味わってもらいました。こうして、茶縁はさらに広がることに。
この写真は、最終地サンティアゴ・デ・コンポステーラからさらに足を延ばし訪れた、フィステーラ岬での一枚。この旅を通じて、日常の慌ただしさから解き放たれ、心から自由を感じている自分に気づきました。言葉では言い尽くせないほど豊かな体験となったため、毎夏エル・カミーノを歩くことを計画しています。
