わさびつんこさんの本格的な治療が始まりました。まずは抗がん剤投与から。副作用のひとつには脱毛があり、つんこさんも例外ではありませんでした。頭ではわかっていたつもりが、いざ抜けたときは自分でも予想外の反応。つんこさんは、そして家族は、どのような心持ちで過ごしたのでしょうか。
35 年ぶりのベリーショートで心の準備
療養休暇に入って即やったこと。それは、散髪。
抗がん剤治療の副作用のつらさについてはわからなかったが、髪が抜けることは知識として持っていた。それなら、自分の髪でかつらでも作っておこうと思い立った。
仕事の忙しさを理由に美容院から遠ざかっていたこと 2 年以上。もう 30 センチ以上伸びて、かなりのロングヘアになっていた。既に髪ドナーの経験があった長女に付き添ってもらい、行くことにした。
前髪だけ長くバックとサイドは短くという、ハンガリーでも男の子に流行りのショート&アシメ風。刈上げなんて生まれて初めてだし、ショート自体が小学校 6 年生以来。
隣で見守っていた長女は複雑な心境であったようだった。母親ががん患者であることをビジュアル的に認めざるを得ず、心配が込み上げてきたのだろうか。普段は陽気なのに、ちょっぴり寂しそうな笑顔でこう言った。「 ママ、かっこいいよ! 」
私自身、髪を切ることが治療への強い心構えとなった。そして家族にとっても、現状を受け止めるための心の準備をしてもらえる機会だ、と思うようにした。
散髪を終え、帰路につく。家族はどんな反応をするだろう。私自身も自分の姿に慣れなくて、照れ臭い思いでドキドキしながら家のドアを開けた。
台所にいた家族は皆、私の変身ぶりに一瞬びっくり。が、すぐにパッと明るい顔になった。
「 おぉぉぉ、いいじゃーん!」と次女。
夫は、「 Nagyon jó ( すごくいいよ!) 」と。
思春期で難しいお年頃の息子は、歓声こそあげなかったが、私の頭を早速撫でてくれた。
ほっとした。
主人と私が築いてきたこの家族 5 人なら、治療中も笑って過ごせる。そんな風に思えた。
初めてのかつら
本当はばっさり切った髪でかつらを作ってもらおうと考えていたが、結局ネットで購入することにした。
いざ調べはじめると、ハンガリーのカスタムメイドはお金も時間もかかることがわかったからだ。自分の髪ではあっても、1 つにつき 6 万フォリント ( 約 2 万円 ) ほどにはなる。
中国産がお手頃だったので、明るい栗色のかつらと地毛に近い色のかつらを 2 つ手配。コロナのため、国際便の物流のスピードはカタツムリ並み。発注後、手元に届くまで約 2 か月かかった。それでも送料込み合計 3.5 万フォリント程度で済んだ。
着けてみたら自然な感じで思ったより似合うし、得した気分になった。( もっとも実際は、家にいる時も外出する時も、通気性の良いランナー用の筒型のスカーフで快適に過ごすことが多かったのだが。 )
治療マラソン:スタートを切る
抗がん剤治療は 3 月 18 日から始まった。CT、PET- CT、血液等の一通りの検査を終え、投与に対応できるという主治医の判断だった。これでまずがん細胞を小さくしてから、手術で取り除くことになる。
抗ガン剤治療だけでも、通常、数か月はかかる。私と主人は、治療をフルマラソンに例えることにした。主人伴走で、がん細胞から解放された時の感動を求め、「 とにかく最後まで、この治療マラソンを完走させるんだ 」と決意した。
42.195 キロメートルを走り切ることがいかに過酷であるか、チャレンジしたことのある方は知っているであろう。地道に体力づくりをし、体調を整えて臨まなければ、レース中に故障し棄権することもある。
私は過去 3 度完走の経験があるので、少しはその過酷さを承知しているつもりだ。そして、完走後の感動や爽快感も知っている。
だから、病院での日帰り治療日はマラソンコースに用意されている「 給水地点 」と考えるようにした。
私に用意されていた抗がん剤治療薬は 2 種類。前半は「 エンドキサン 」という薬で 3 クール、後半は「 ドセタキセル 」という別の薬で 3 クール。1 クールは 3 週間、合計 6 クールである。
「 エンドキサン 」はオレンジ色の液体で、点滴で 1 時間ほどかけて体内に注入する。その鮮やかな色に驚いた。帰宅して主人にそのことを報告すると、「 第一給水地点はオレンジジュースだね! 」と。
副作用の波:ついに来た!
「 エンドキサン 」の主な副作用は、吐き気、嘔吐、そして脱毛。治療を受けた 2 週間後……遂にその時が来た、脱毛。
夜、家族と食後の団欒で食卓についていた時、何気なく髪をなでた。するとごっそり抜けたのだった。
手には髪の毛の束。それを見た瞬間、突然身体がガタガタと震えた。私は突然椅子から立ち上がり、ダイニングテーブルの周りを行ったり来たりしては、「 あぁ、髪が抜け始めたぁぁ 」とその束を家族に見せて回った。
なぜこんなことをしたのか、自分でもよくわからない。体の震えは 5 分もすると収まり、椅子に座り直すことができた。
脱毛は治療過程の 1 つと思い、それまで受け入れていたはずだった。主治医が、治療が終わればまた生えてくるから大丈夫と言ってくれていたので、落ち込んだり不安になったりすることもなかったのに……。
人の心の反応は面白い。頭では認識していても、実際に起きて自分の目で見ると、思いもよらぬ行動や反応をするものだと、初めて体験した。
笑いのある生活:免疫力アップ
脱毛するといっても、一気にすべて抜けるのではない。数週間かけて、日々大量に抜けてゆき、抗がん剤治療が終わる頃には、生まれたての赤ちゃんのようになるのである。
脱毛期間中、悲しいということはなく、むしろ、髪をまき散らさないか、髪を洗う度に排水溝を詰まらせてしまわないかという方が気になった。
そこでそれを防ぐ工夫をいろいろと考えた。
その一つは、我ながら良い方法だった。朝夕欠かさず行っていた散歩の際、髪を撫でながら抜き、風で飛ばすこと。「 私の髪が花の種なら、花の道ができるのにね 」と主人とクスクス笑いながら歩く日がしばらく続いた。( もちろん、ブダペスト市の中心街でしていたわけではなく、地元の村の広々とした野原や森で、である。 )
私が散らからないようにと丸めた髪を見た娘は、「 これ! となりのトトロに出てくる、まっくろくろすけみたい! 」と言って家族を笑わせた。
数週間もすると髪の毛は、ほぼすべて抜けてしまう。暑かったので、家では隠すでもなく、バンダナも何もつけなかった。家族は、坊主になった頭を気に入ってくれた。
子供たちは、私の頭をまじまじと観察しては、今まで髪で隠れていたほくろを発見したり、「 ママの頭の形っておもしろいね 」と言っては、私の頭を毎日何度も何度も撫でに来る。
私は「 いい子いい子 」とされているようで、いつも幸せな気分になった。
坊主頭も悪くないな……。髪が一本抜ける度に邪念が一つ抜け、心が清らかになっていくような気がした。
「 目指すは、瀬戸内寂聴さんのように、愛情の深い方になること。でも、まだ毛が生えてるから、もっと修行を積まなければいけないな 」と思うように。
こうして、私のがん治療が始まった。
笑うことによって、NK ( ナチュラルキラー ) 細胞が増え免疫力が上がると言われる。治療中は、重度の吐き気や倦怠感で心が折れそうになった。でも乗り越えられたのは、家族がいつもそばにいて、優しい心で時々冗談を言ったりして笑いを運んでくれたからだと、心から思う。