人間ドックを 3 か月前に初めて受けた際、白い影が右乳房に。人一倍体力には自信があったのに。ハンガリーでがん治療を行う、わさびつんこさん ( 在住 20 年 ) の連載を開始します。末尾には毎回、つんこさんから皆さまへの “おすすめ” もつきます。
プロローグ 「 3 大プロジェクトの始まり 」
人生波乱万丈。誰もが人生のドラマを持っている。人は生まれた時から最期に至るまで、 様々な壁や課題が与えられるもの。
その課題をいかに受け止め、いかに解決していくかは個人にかかっている。2020 年は私にとって、激動の年といえる出来事が立て続けに起こった。
年明け早々、何らかの原因で自宅が火事に。
2 月、47 歳にして初めて受けた人間ドックで乳がん発覚。
3 月上旬、抗がん剤治療に向けての体力作りでジョギングをしていた際、後方から犬が左足に激突し、膝靭帯を損傷した。
そして 3 月中旬、今度は CT 検査をした際、肝臓に影があると診断。がんの肝臓転移の疑いに、「 死 」という言葉が脳裏をよぎり、主人と共に不安で涙を流した。
基本的に私は楽天家である。自宅火災は、家の建て直しと大断捨離の機会を与えられたのだと思った。
乳がんと診断された際は、根拠のない直感で、絶対治ると信じていた。
膝靭帯損傷の時は、頑張りすぎない為のブレーキになってくれたのだと、自分の都合のいいように解釈。
そして、一番気になっていた肝臓の影はがん細胞でないと診断され、夫婦共に安堵した。この瞬間、どん底から這い上がるエネルギーがみなぎるのを覚えた。
家の再建、靭帯完治、そして乳がん治療という3大プロジェクト。
これらは、私なら、私たち家族なら乗り越えられるからこそ与えられたのだ、と心の底から信じた。試練は誰もが与えられるのではない、学校でも教えてはくれない貴重な人生勉強の機会であると。
『 いまから、ここから 』
私が敬愛する相田みつを氏のことば。そう、ここからなのだ。
私は今、自分を見つめ直すための最高の贈り物をいただいたのだと思い、日々を過ごしている。
体力があってもがんになる
人体は約 60 兆の細胞からできており、誰もががん細胞を持っている。がん細胞を大暴れさせてしまうか否かは、誰もが持つ免疫力によるらしい。
例えば、睡眠不足や栄養不足、ホルモンのバランスの変化等が起因し、免疫力の低下によってがん細胞は成長する。
この 1 年半の私の生活を振り返ると、睡眠時間は毎日 4、5 時間。朝から晩まで、家事と仕事で奔走していた。
唯一の楽しみは家族が寝静まった後の動画閲覧やネット検索、そして深夜に就寝。更年期に差し掛かっていた私の身体は、このような生活を続けていた結果、ホルモンのバランスが崩れ、がん細胞にとっては快適な環境となっていたのだと思う。
このような生活をされている方も多いのではないだろうか。そして『 自分は大丈夫だ!』と思ってないだろうか。
私自身、体力があると自負していた。ハーフマラソンやフルマラソンを幾度も完走していたからだ。
がんの診断を受ける 9 か月前にも、42.195 キロを走り切るほど元気だった。
世間では現在は「 2 人に 1 人が、がん患者」と言われている。でも、自分がなるなんて夢にも思っていなかった。
自覚症状もまったくなかった。しかし、楽天家の私は体力と免疫力は同じでないことを理解していなかったのだ。
身体の悲鳴に気づくこと!
今振り返ると、私の身体は、本当は悲鳴を上げていた。
毎月定期的に来る生理の 3 日目頃から口内炎ができてるようになって久しかった。食事や歯磨きの度に走る口内の激痛。
それでも「 口内炎なんて、大したことはない 」と消毒液でのうがいで済ませていた。しかし、この口内炎こそが、免疫低下のサインだったのだ。
仕事で時間が取れないことを理由に、それまで健康診断を受けたことはなし。でも年齢的にも必要かと思い、今年の 2 月、日本への一時帰国を機に半日人間ドックを初めて申し込んだ。
どうせ受けるならしっかり診てもらおうと思い、オプションで CTと超音波乳がん検診も希望。CT で右乳房に腫瘍の白い影がはっきりと映し出され、超音波検査でも同じ個所に 2 センチ程の腫瘍の影が 1 ヵ所見つかった。
この時、過去の記憶が突然蘇った。母が私と同じ年齢のころ、乳房腫瘍の摘出手術をしていたのだ。
母の腫瘍は良性だった。だから、『 私の腫瘍も良性に違いない 』。そう信じようとしている自分がいた。
最後のカウンセリングの際、担当医より乳がんの可能性があると、再検査を勧められた。
ハンガリーに戻り次第、乳がんから寛解した友人を頼りに、超音波検査では腕の良い医師を紹介してもらうことに。その名医が勤めるプライベート診療所へ連絡すると、翌々日には診察してもらえた。
医師は超音波をあてながら、険しい顔つきになった。腫瘍は 1 か所だけではなく、右胸には 3 センチ近いものが 2 か所、そして脇のリンパには 1 センチ弱のものが 1 か所見つかったからだ。
医師は、「 精密検査が必要 」と。幸い、その日は検体の専門医も勤務しており、細胞もすぐに採取してもらうことができた。
検査結果は、コロナウィルスが騒がれていた 2 月末日、29 日金曜日にメールで送りますと言われ、診療所を後にした。
その日は勤務日。まるで受験結果の知らせを待つ学生の気分で、仕事をしながら待った。勤務時間終了 1 時間前、検査結果を受信。
悪性腫瘍、癌だった。
その瞬間、動揺がなかったと言えば嘘になる。しかし、すぐさま、『 私が癌で死ぬわけがない。治るに決まっている 』という思いが動揺を振り払った。
そして「今、私は何をすべき?」、「それは、右胸のがん細胞と、自分の心と向き合い解決すること 」と瞬時に自問自答。即決で治療に専念したいと希望を上司に伝えた。
今でも、ふと思うことがある。今回人間ドックでオプション検査を受診していなかったら ……
私は、悪性腫瘍に気づくことなく、今でも仕事をしていたであろう。癌と診断されるのは、うれしいことではないが、診断された日が吉日だと思える。
一方で、社会人としての責任の一つ、かつ自分の健康管理の一つでもある、健康診断を怠っていた自分を大いに反省した。私は、仕事人間でありながら、結果的に急遽療養休暇を取ることで、会社に迷惑をかけてしまったからだ。
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