がんのように長い治療が必要になったとき、「 誰に、いつ、どこまで 」伝えるべきかというのは、おそらくすべての人が判断を迫られることでしょう。家族のみ、一握りの親しい人だけ、特段隠さず暮らしていく……。いろいろパターンはあり、絶対的な正解はありません。
乳がんと診断されたわさびつんこさん ( 40代、在住約 20 年 ) が選んだのは最後のパターン。その結果、どんな出会いがあり、どんな影響がもたらされたのでしょうか。「 川 」に例えて綴ってくれました。
「 大河 」の源泉になった義妹のことば
約 1 年前。治療が始まった当初、私の体調について知った義妹が勇気を持ってメッセージを送ってくれた。
「 親を看病しながら感じたのですが、、、完治へ向かうかどうかは、周りの愛や力を仲間につけるか否かによって左右されるものだと。義姉さんなら、たくさんの応援で好転しますね。応援します 」
この言葉を目にした時、大河の姿が頭に浮かんだ。
川の『 主流 』は自分の心。小さな源泉から長い距離を経て、寛解という大海原を目指して流れていく。
その川へ流れ込む『 支流 』は、友人や家族一人一人の思いだ。支流が主流に合流し、より大きな河になり勢いを増すのである。
義妹の言葉は、治療を進めるうえで心の支えになった。そして、臆病にならずに行動するようになれた源泉ともいえる。
「 はじめの一歩 」から生まれた「 新しい出逢い 」
乳がんと診断されてからしばらくの間、病気のことを話していたのは家族と親しい友人くらいだった。
だから、Facebook で最初に明かした時は、少しだけ勇気が必要だった。投稿内容も「 がんになりました 」と大々的に発表するのがメインでなく、さらりと一言入れただけ。
ところがその一言で、予期せぬ多くの新しい出逢いが生まれた。
「 実は自分もがん患者だった 」と友人や同僚がメッセンジャーで告白してくれた。また、「 友人ががんだったけれど治った 」と紹介してくれる友人もいて、更に知り合いの輪が拡大。
予想以上に多くの人ががんになった経験があることを聞いて、自分だけが特別な訳ではなく身近なことと気づかせてもらった。
そして何より、前向きに治療し寛解した先輩たちとの出逢いは大きな励みになった。
胃がん全摘手術数か月後にフルマラソン完走した友人、乳がんから寛解後に「 多くのがん患者を救いたい 」と看護師の資格を取り腫瘍科で勤めている方。小さな子供を抱え、つらい治療を受けながらもかつらを着けて勤務し、トライアスロンにチャレンジしていた友人もいた。
こうした人たちの精神の強さに驚嘆したり感動したりした。
コロナ自粛生活ゆえに実際に会うことは限られつつも、 SNS を通して国内外から届けられたエールは数知れず。私の「 川 」がどんどん多くの水を取り込み進んでいくのを感じた。
火の鳥財団 : 寛解は最終目的地 ?
ハンガリーには Túzmadár alapítvány ( 火の鳥財団 ) という、がん患者の生活や人生の質 ( QOL ) の向上を目的とした団体がある。患者の他に心理学者やトレーナーが集まり、最善の治療を行えるように、様々な情報を交換している。
家族や友人の思いが『 支流 』とするならば、この団体との出逢いは、同じ『 寛解の海 』を目指す仲間と知り合ったり、海に到達した先どうすべきかと考えたりするきっかけとなった。
実のところ、がん経験者の友人から初めて財団の Zoom ワークショップについて案内をもらったときは、ハンガリー語オンリーでぜんぶ理解できるのだろうか ? と尻込みしていた。しかもワークショップは朝から夕方まで丸一日なのである。
でも義妹の言葉を思い出し、「 何か学べるものがあるかもしれない 」と、思い切って参加することにした。参加者は約 40 人で、いろいろなテーマごとにグループ分けしディスカッションした。
その中でも印象深かったのは、既に寛解したというミシュコルツ市在住の年配の女性。笑顔がとても素敵で、現在治療中の人達を助けるためにハイキングなどいろいろな活動をされていた。
ここで私は悟ったのである。今までは自分が治ることばかり考えていたが、それで「 あぁ良かった 」で終わるものではないのだと。寛解の先に、今度は自分が他の人のためにどんなことをできるのだろうか、と真剣に考えるようになった。
伴走し続けてくれたランナー仲間
もう一つ、私にとって大きな『 支流 』で力強く後ろから押してくれた人たちを紹介したいと思う。時には、『 本流 』よりも貯える水量は多かったのではと思うほどだ。
それは、ランナー仲間。
抗がん剤治療で免疫力は極端に低下し、体内の細胞はボロボロになっていたところ、精神的に支えてくれた。そして体力回復のために、外へ出て散歩するよう導いてくれたのだ。
中でも、彼らが「 治療の伴走に!」と日本から送ってくれたスポーツウォッチ『 ガーミン 』は予想外のプレゼントで、かけがえのないものとなった。
これで日課にしていた散歩の歩数や距離、心拍数を確認。ガーミンの重さを感じるとき、彼らがいっしょに歩いたり走ったりしてくれていると想像し、体を動かすモチベーションを維持できた。
実は私は、その前に愛用していたガーミンを火事で失っていたのだ。だから、新しいガーミンが、どれほど嬉しいものだったか想像していただけると思う。
「 先代ガーミン 」のことを覚えていてくれたのは、私が勤務する日系企業に 3 年ほど前に訪れていた出張者だった。
私の左手首に、女性には少し大きめのガーミンがあるのを目にするや否や「 走ってるんですか? 」と声をかけてくださったのだ。聞くとマラソンを何度も完走したことのある大先輩だった。以来、私は彼を「 師匠 」と呼び慕わせていただいていた。
でも、師匠や日本本社のランニング好きの方々とぐっと関係が近くなったのは、私が療養休暇に入ってから。私ががんにかかったことを知った師匠が本社ランナーの LINE グループへ誘ってくださったのだ。
そして今につながっている。彼らはマラソン情報だけでなく、私の抗がん治療日にはいつも励ましのメッセージを送り続けてくれた。
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前向きに治療し寛解を達成した先輩たちの生きた証は、何よりも大きな励みになる。