ハンガリーで乳がん治療中のわさびつんこさん ( 40 代、在住約 20 年 )。抗がん剤治療の後半に入りました。ところが、治療当日に初めてわかったことが。副作用はどうだったのでしょうか。また、からだへのダメージが大きくなる中、体力維持のためにしたことは? 意外なことがデトックス効果を発揮しました。
違う抗がん剤に
4 度目の抗がん剤治療を受ける日が来た。しかし、点滴を見て「 あれ? 」
1 ~ 3 クールで投与した「 エンドキサン 」は鮮やかなオレンジ色だったが、今度は透明だったのだ。薬が変わるとは思っていなかったので、何がどう違うのかもわからなかった。でもそういうものなのかと考えながら、いつもの通り、点滴用リクライニングチェアにからだを預けた。
注入後まもなく、めまいがし、心臓もどきどきし始めた。何が起こっているのかわからず、慌ててアシスタントに不調を訴える。すると一旦、点滴を中止し、至急、主治医に相談してくれた。体内の薬の比率を下げるため、カルシウム剤を注入。しばらくして、落ち着いたところで再開。何とか最後まで受けることができた。
4 ~ 6 クールで投与する抗がん剤が「 ドセタキセル 」という名前であることは、帰宅後にネットで調べて初めて知った。病院から渡される治療記録の紙に書いてあった、TXTというそれらしき略語を辿って行ったところ出てきたのだ。ついでにアルコール分が入っていることもわかった。だからお酒に弱い私のからだは、あのように反応したのかもしれない。
ハンガリーの病院では、治療を行う度に、薬の名前や内容、起きうる副作用やその程度まで細かく「 口頭 」で説明してくれることはあまりない。実は、後でわかったのだが、3 月に渡された抗がん剤治療計画には 3 EC、3 TXT とは書かれていた。私は主治医を信頼しきっていたのでいちいち聞いていなかったのだ。でも、治療計画をしっかり読み、わからないことは聞いておくべきだった。
ドセタキセル投与の 2 度目、3 度目も同様に、めまいに襲われた。心拍数も上昇。不安になりアシスタントに訴えると、「 心理的なものだから、心配しないの! 」と活を入れられた。1 時間ほどの点滴をなんとか耐えて、抗がん剤治療は終了したのだった。
ドセタキセルの副作用:吐き気はなかったが……
ドセタキセル治療後の副作用は、インフルエンザを患った時のような関節痛や倦怠感。特に子宮と骨盤のあたりに鈍痛があり、1 週間ほど続いた。
吐き気や嘔吐に関しては、覚悟していたが、今回に至ってはまったくなかった。その意味では少し救われたと言える。でも、私のからだの中では恐ろしいことが起こっていた。治療 1 週間後の経過を見るための血液検査で、白血球が激減していたのだ。
白血球が減少すると、ウィルスや細菌への抵抗力がなくなり、病気になりやすくなる。そうなれば、治療中断だけでなく、命にかかわることにもなる。
そのため、数値を上げる Zarzio という注射をすぐさま打ってもらうことに。加えて、その後 5 日間は、自宅で自分で打つよう言われた。注射の針を自分のからだに刺すのはなかなか勇気がいる。でも、背に腹は代えられないと思いながら続けた。
主治医のアシスタントからは、発熱した場合は、至急連絡するよう言われた。何かに感染したことを示す兆候かもしれないからだ。それとは別に、彼女からも時々電話がかかってきて、私の体調の確認をしてくれた。
その頃は、5 月末。ハンガリーでは新型コロナウィルスの第 1 波のピークを越え、様々な制限措置が終了に近づいていた。でも私は、コロナに感染しないよう、引き続き十分に注意。
それには家族全員の協力も必要だった。主人と子どもたちは、本当はコロナでずっと会っていなかった友人に会いたかったはず。でも、私の治療が終わるまで我慢してくれた。
たかが散歩、されど散歩
抗がん剤の投与は 3 週間ごと計 6 回で、治療期間は数か月に渡る。その間、からだがどれほどのダメージを受けたかは、髪の毛や爪によく現れていた。
抜けた髪をよく見ると、治療直後に伸びたと思しきところは細い。そして少し経つとまた太くなり、また治療をして細く、を繰り返していた。爪の色も黒ずんで波打った。
だから、治療日から次の治療日までの間、いかにからだをリカバリーするかが重要なポイントになる。そのためには、日ごろからの食事に気を使い、体力づくりをする努力が必要だ。
もちろん息が切れるような運動はできないが、放っておくと筋肉もどんどん落ちてしまう。だから、私は、歩いた。とにかく歩いて体力維持に努めた。
治療が進むにつれ、朝夕の散歩に行くのも、つらさが日々増幅。抗がん剤によるダメージが積み重なっていたのだと思う。
ちょっと歩けば息が切れる。話をしていても息切れする時があるほどだったのだ。
それでも、ゆっくりでもいいからと、主人は毎日、私に付き添って出かけた。時には、同じ町に住む友人や、お見舞いに来てくれた同僚が付き合ってくれたこともあった。
その結果、自分でも驚いたことに、毎月の歩行距離は 200 ㎞に。一日の歩数は平均 15000 歩に達していた。
毎日のように日光を浴び、免疫力も体力も維持できたのは、散歩のおかげだと思う。そして、怠けることなく続けられたのは、いつも誰かが付き添ってくれたおかげである。
治療していたのは春から夏で、天気も良く日照時間も長くなり、新鮮な野菜や果物が出回る季節。自然の力もエネルギーにかえられたように思う。
デトックスには涙
抗がん剤がいかに強いものかを表すもう一つの例は、舌だった。治療翌日には、舌は苔がついたように真っ白に。からだが薬に拒絶反応を示して排泄しようとしているかのようだった。
そのため心がけたのは、とにかく毎日 1.5 リットルの水と 1 リットルのお茶を飲んでデトックスすること。特に、治療日と翌日は、3 リットルのミネラルウォーターを飲んだ。
水以上に副作用に効果的だったのは、思いっきり泣くことだった。
感動する映画を観たり、美しい音楽を聴いたりして、思いっきり泣く。すると不思議なことに、副作用の倦怠感は自然と緩和された。
体調がよくない時はベッドでからだを休ませ、好きなピアニスト辻井伸行さんの演奏を YouTube でとにかく観続けた。純真な心で奏でる音色……。私は心から感動し、そして、涙を流した。
ハンガリー語で「 涙 」は Könny。このKönny に ű の文字を付け加えると Könnyű、「 軽い 」という意味になる。ハンガリー語ってなんて素敵な言語なんだろう。涙することで、つらさから解放され、心が楽になる、軽くなる。
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つらいときは思いっきり泣こう!
アイキャッチ画像は、私の家から見えた虹。若かりし頃、アメリカ先住民ナバホ ( Navajo, 自称 Diné ) に興味を持ち、文化に触れるためナバホの家族に滞在したことがある。そんな頃に出会った、先住民の間で長く伝わることわざを思い出す。”The Soul Would Have No Rainbow if the Eyes Had No Tears” 「 涙無くして、魂に架かる虹はない 」。